別に舌が肥えている訳ではないが、飲み比べは好きだ。ただし、アルコールを除いて

ですが所詮は一般ピープルが適当にやっているので、近所で手に入る(親が買ってくる)範囲内のため、規模が小さいんですな。そこんとこは置いといて、参りませう。

麦茶
我が家で夏常飲される飲み物は麦茶。半分は自宅で作ってる物なので範囲外ですが、市販品も捨てたもんじゃないですよ?
まず、一般に広く流通している(と思われる)物で、味もそこそこいいのがカゴメの「六条麦茶」。まあ、スタンダードとして考えていいでしょう。
次は六条麦茶の対極に位置する伊藤園の「香り薫る麦茶」。残念ながら評価は最悪(俺調べ)。つーか論外
話を戻して次によい物は、アサヒの「麦水」。値段は高いですが、その分クオリティーが高いと思う。アサヒで出してるもう一つの麦茶も結構いけてましたよ。ビール会社だと麦を扱うのはお手の物なんでしょうかね?
最期に、今まで飲んだ麦茶の中で一番美味かったのは、興信乳業の「麦茶」(一リットル/100円・紙パック)。この値段で、さらりと飲めてくどさが全くない物が作れるのか不思議ですが、めちゃ美味い。現時点でのキング・オブ・麦茶(俺調べ)。これは一度飲む価値あり。

以上麦茶コーナーでした。次は緑茶コーナー。(簡潔に)

緑茶の中で基準にしていい物は伊藤園の「お〜い お茶」でいいでしょう。渋みを特化した「濃い味」(マジ苦い。でも眠気覚ましになりそう)なんてのもシリーズであったはずですが、こちらなどは飛ばしてもいいでしょう。
しかし、市販の緑茶と言う物は、大体が渋み偏重なんですよ。まあ、脂っこい物とか、甘ったるい物を食べた時には重宝しますが、普通に飲む時は渋すぎる感がある。
ですが、昨日飲んだ「若武者」は今までになかく飲みやすかった。うちの親は薄めてるだけだと言っていましたが、渋みゼロの訳じゃないので、違うんじゃねぇかと。

緑茶もこんなモンですが、付け足しに幾つか。

烏龍茶はアサヒのがベタですが、「金の烏龍茶」なるものが、良かったような・・・(古の記憶)。あと緑茶も、玄米茶の中に緑茶を混ぜた、変な絵文字っぽいデザインのやつが変わり種で良かったですよ。
さらに、会社の方ですが、聞かない名前のところは当たりはずれが大きい。そこそこの物を選ぶなら、麦茶=アサヒ、緑茶=伊藤園、烏龍茶=アサヒで選んでおいた方が無難ではないかと。ただ、緑茶は種類が非常に多いので、ヒマな時に自分で飲み比べて、どの辺が自分に合わないか探ってみるのも手。存外、掘り出し物があるかもしれません。しかも、緑茶は何故かコンスタントに新製品が発売されますから、結構長続きしますよ。多分。そのうち緑茶の飲み比べでも集団でやりたいですね

ついで

2005年12月14日 メモ書き
中学の時の面白いメールがパソコンに残っていたのでネタ代わりにどうぞ。ちなみに、数字がこちらからの問でAが友人Bから答え

1.日本人は流行に流されすぎだと思うか?
A.流され過ぎだ!一人一人の個性を出せない環境になりつつある!!
2.日本はアメリカの犬か?
A.その疑問に達した理由は?
3.Vもぎに友人Aを連れて行くべきか?
A.当たり前だ!!!
4.食うなら鯛焼きよりたこ焼きか?
A.どちらともむさぼり尽せ!!

大和

2005年11月27日 メモ書き
12月17日に「男たちの大和」が封切りです。みたいのですが時間の関係でどうやら難しそうで・・・。一応、受験生なので。

ここで、大和のデータを少し。
全長263メートル、満載排水量7万2800トンで最高速度は27.1ノット。9門搭載されている46センチ45口径砲は射程40キロ以上。東京から横浜までゆうに届く当時の世界最大砲。終戦前に徳之島沖で多数の米艦載機の猛攻を浴び、沈没。

※専門用語について
1ノットは時速1.852キロ。ついでに1海里も1.852キロ。27.1ノットだと時速50.1892キロ。
砲の表示は直径46センチで砲の長さが直径×45。だから砲身長は約20メートル。

その他日本の技術の粋を集めて建造された大和。しかし、開戦当時もうすでに大艦巨砲の時代は終わり、航空機・潜水艦の優位が確立されつつあった故に活躍する場はほぼなく、46センチ砲を使う機会はほぼなかった。

名将

2005年11月17日 メモ書き
歴史上、名将と呼ばれる人は多々いましたが、本日は自分的ランキングと称して数人を挙げてみようかと。

まず筆頭に挙げたいのは言わずと知れたローマの将軍、ユリウス・カエサル。彼は指導者が備えていなければならないとイタリア人が考える資質(知力・説得力・肉体上の耐久力・自己の制御力・持続する意志)全てを備えていたとされる唯一の人物。彼なくしてローマ帝国、ひいてはローマを語る事は出来ないと思う。内乱の一世紀を収集する先鞭をつけたのも、各地のローマ化、諸改革に、戦術軍功をみても欠点らしき欠点がない。しかしその反面、非情に女好きで、クラッススの妻と不倫して金を無心したり、クレオパトラとの子供(カエサリオン)まで作ってしまったり、凱旋式で配下の兵たちに「ローマ市民よ、妻を隠せ。女好きが帰ってきたぞ」みたいなことを言われたり、ハチャメチャです。その上不倫疑惑の持ち上がった妻に対して「私の妻にそのような女はふさわしくない」みたいな事を言って、スッパリ離婚。
そんな彼ですが、実子はなく、ブルータスとオクダヴィアヌスの二人を養子に迎えていましたが、ブルータスを含む共和派に殺されてしまったために、オクタヴィアヌスへの政権委譲が行えず、前31年のアクティウムの海戦まで彼に再統一をさせざるを得ませんでした。

次ぎに挙げたい名将は、東郷平八郎元帥。日本海海戦など、参謀である秋山真之の力による所が大きいですが、彼だけではあれほどの大勝利はあり得なかったでしょう。冷静さはもちろん、強力な運も見逃せないでしょう。ふきっさらしの露天甲板にいたにもかかわらず、かすり傷一つ負わなかった上に、戦闘中全く動かなかった、まさに直立不動の体勢で立ち続けていたわけで。

本日も時間がちょいと危ないので、後日この続きと、さらに参謀編と部将編の三部構成でいこうかと考えてたりします。

都市名

2005年11月14日 メモ書き
名前と関連して少し補足を。

世界史をやっていると、街の名前が結構重要なファクターを握ってくる。

例えば、トルコのイスタンブール。
確かにデカいが何故?と思う人もいると思いますが、イスタンブールになる前にふたつの名前を持ってるんですよ。この街。
一つはこの都市が建設された当初(ギリシア人が入植した時:紀元前数百年前)はビサンティウム(あるいはビサンチウム)と呼ばれとったんですよ。だから3B政策の時はこのビサンティウムを使うわけです。そうしないと頭文字がBでそろわないし。あと、東ローマ帝国がビサンチン帝国と呼ばれるのも、ここに起源があったはず。
次はローマのコンスタンティヌス帝が略奪にあってローマから遷都した時(325年か330年)に、彼にちなんでコンスタンティノープルと変わったんですね。それ以後、オスマン帝国によるコンスタンティノープル陥落までの間の千年以上の長きにわたってこの名前で通ったわけです。
最後、イスタンブールに変わるのは1453年にオスマン帝国皇帝・メフメト二世がコンスタンティノープルを陥落させてから。(興味のある人は塩野七生さんの「コンスタンティノープルの陥落」という小説を読む事をオススメします)それから今に至るわけです。

名前(呼び方)が変わるといえば、アルザス・ロレーヌも有名かも。ドーテ(だっけ?)の「最後の授業」を読めば分かるのですが、普仏戦争に負けたフランスは賠償としてアルザス・ロレーヌ地方(実際にはフランス人が多数派)を割譲する事に。ドイツに編入されてからはドイツ語読みのエルザス・ロートリンゲンと呼ばれる事に。まあ、第二次大戦後フランスに復帰してアルザス・ロレーヌが復活しましたが。ただ、「最後の授業」では、フランス語最後の授業の終わりに、先生が「フランス万歳、アルザス万歳」といったのか印象的でしたね。今度、全部通しで読んでみたいですが。

ロシアの都市、サンクト=ペテルブルクもロシア風だとペトログラードだし。ピョートル大帝がドイツ風に名付けたんですよ。何故か。

後、海外の都市は城壁で囲まれていた事が多かったので、元々城壁を表す言葉が「街」を表す言葉として世界中の街の名につけられとります。
例えば、英語のバーグ、仏語のブール、独語のブルク、露語のグラード。パキスタン方面ではバードがそれに該当した(はず)。
フランスのストラスブールやドイツのハンブルク、ロシアのヴォルゴグラード(旧スターリングラード。スターリンが死んだのち人の名前を付けるのをやめてから)。パキスタンにもイスラマバードやハイデラバード等がある。

本日は都合上、これで終わりですが、その内また書いときますね

名前

2005年11月14日 メモ書き
世界史をやっていると色んな名前に触れる事があります。さて、今回は他言語との言い換えにポイントを当てて書いていきます。

まず、他言語との言い換えについて例を挙げておくと、「大脱走」に出てきた第三捕虜収容所所長・ルーガーさん。英語読みだと「ルーガー」ですが、よくよくドイツ語で聞いてみると「ルーゲル」と言ってます。

まあ、こんな感じ。

以前、学校で英名チャールズの言い換えについて議論した事がありました。結局は世界史人名辞典により解決したのですが、あんときは非情に記憶の曖昧さについて実感する羽目に。そんでもって、チャールズの言い換えは、
(独)カール、(仏)シャルル、(伊)カルロ、(西)カルロス、(ラテン)カロルス。
と、いうわけで、チャールズ一世はカール一世でも、カール大帝はシャルル大帝でも、シャルル七世はカルロ七世でも、カルロ・アルベルトはカルロス・アルベルトでも、カルロス一世(神聖ローマ皇帝としてはカール五世。確かに言い換えが出来ている)はカロルス一世でもいいってことなんじゃ?

その時もう一人名前が挙がったのはロマノフ朝最後の皇帝、ニコライ二世。最後という事も相まってよく出てくるこの人、日本に来た事があるんです。皇太子時代に。しかし、1891年の大津事件で。それ以来、日本嫌いになったらしいですが、それと日露戦争は関係しているのか?それはいいとして、ロシア語のニコライの言い換えは、
(英)ニコラス、(独)クラウス・ニコラウス、(仏)ニコラ・ニコル、(伊)ニッコロ、(ラテン)ニコラウス
「沈黙の艦隊」のベネットさん・「ジパング」のクラウス君(どっちもかわぐちかいじやんけ・・・)・フランス代表のアネルカさんはみんな一緒だったんですね・・・

ここでサッカーネタで一つ。イングランド代表オーウェンとドイツ代表バラック、元フランス代表プラティニはみんな仲間なんですよ。名前が。サッカーではないですが、前出のロマノフ朝を開いたロマノフさんも同士。
(英)マイケル、(独)ミヒャエル、(仏)ミシェル、(露)ミハイル
元フランス代表(だったっけ?)セザールはラテン読みすればカエサル。こう考えると凄いですね。

最後に、キリスト教で出てくるパウロとペテロについて。
パウロは
(英)ポール、(独)パウル、(仏)ポール、(伊)パオロ、(西)パブロ、(露)パヴェル、(ラテン)パウルス
ペテロは
(英)ピーター、(独)ペーター、(仏)ピエール、(伊)ピエトロ、(露)ピョートル、(ラテン)ペトルス

血液型

2005年11月7日 メモ書き
日本人ははっきり言って血液型に固執しすぎだと思う。これでもかってくらい、日本社会に蔓延している。だから、どうというわけでもないが、個人的には理解に苦しむことであったり。

前置きはいいとして、つながり的に本日のお題は「性格」。人間の数だけ性格がありますが、自分の自己分析をメモ書き程度に。

簡単にいってしまえば、俺の性格は「比較的自由な場所で、自分の考えで動く」と「第三者的立場で自分なりにあることについて考える」タイプであると思う。明らかにカエサルのようなファイブツールプレイヤーではない。前者は、どちらかと言えば、人に上手く使われることで生きると思う。実際に失敗が頭にちらついた状態で良い結果がついてきたことはない。中学の時は柄にもなくソフトテニスをやっていたが、パートナーから「何でそこでミスんの?」みたいな視線があったときには大乱調。逆にテンションが上がった状態、しかも、ミスを恐れなくていい状況だとすこぶる調子がいい。まあ、メンタル面では色々とあるのだろうが、俺の場合はこうである。

後者の方は、どうみてもアウトサイダー的要素であろう。元来、集団で何かをしようとする気が起きないタチなので、最近はやたらと入れ込むことがなくなった。まあ、状況判断の出来ない人たちから見れば、単なる冷たい奴としか映らないのだろうが。

クイズ

2005年11月6日 メモ書き
さて、これはどう読むでしょう?

Buehrle
Gagne
Isringhausen
Pujols
Vladimir Guerrero
Mientkiewicz

答えは過去のどっかに埋もれてるはず。ただ、ダグさんだけはどこにも答えが載ってないので、今度適当に書いときます。

解答

2005年10月12日 メモ書き
上から順に、
バーリー
ガニエ
イズリングハウゼン
プホルス
ウラジミール ゲレロ
ミントケイビッチ

でした

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